2016年09月06日
京の夏の旅特別公開/世界遺産と旧社家がテーマの定期観光バスに参加しました。
京の夏の旅特別公開は今回で41回目を迎えました。今回は世界遺産と旧社家がテーマの定期観光バスに参加しました。コース内容は上賀茂神社…本殿・権殿・庁屋、下鴨神社…本殿・大炊殿、上賀茂西村家庭園…旧社家、下鴨旧浅井家住宅…旧社家、昼食…山ばな平八茶屋、お土産…葵家やきもち総本舗です。約5時間/9000円コースです。
世界文化遺産の上賀茂神社(賀茂別雷神社/かもわけいかづちじんじゃ)と下鴨神社(賀茂御祖神社/かもみおやじんじゃ)のお社を訪ねて、21年に一度の式年遷宮のお話を聞きました。上賀茂神社・檜皮葺の優雅な社殿は賀茂別雷神を祀る「本殿」と常設の仮殿「権殿」があります。式年遷宮のときはこの権殿に本殿に座する神様を移して本殿の修理修復するのだそうです。伊勢神宮は修理修復ではなく、新しく建物を建て替えるので、世界文化遺産には指定されないことを知りました。そして20年度に一度の式年遷宮の伊勢神宮に対し上賀茂神社の式年遷宮は21年度に一度はなぜ?これは、伊勢神宮と同じでは恐れ多いとして一年多くなっているのだそうです。
下鴨神社は上賀茂神社の祭神・賀茂別雷神の祖父賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)と母の玉依媛命(たまよりひめのみこと)が祀られています。この祭神のいわれには、“玉依媛命が賀茂川にいたとき上流から流れてきた矢を拾い持ち帰ったところ懐妊して男の子を生んだ。これを祝い賀茂建角身命が神々を集めて酒宴を開いて、この席で御子(子供)に「汝の父と思う神に盃を捧げよ」と盃を渡したところ御子は「わが父は天津神なり」と答え、雷とともにそのまま昇天され賀茂別雷神になった”という話があります。隣接する上賀茂神社、下鴨神社の御祭神のつながり(相関関係)がうまくできているなと感心しました。
今回のテーマの中には上賀茂神社、下鴨神社に仕えた神官や学問所の絵司などの役職の人が神社の周りに住んだ社家の特別公開があり、神職に臨む暮らしぶりがよくわかりました。
下鴨神社近くの社家・旧浅田家の秀穂舎(しゅうすいしゃ)は公文書や歴史教育の官の絵司として仕えた人の住居でした。禊場である泉川が建物沿いに流れ、鳥居の形をした華表門(かひょうもん)や、その前に歳神様を招く神籬(ひもろぎ/民家の門松にあたる)である歳木(としぎ)を年中置くなど、神社に仕える者の住居らしさが外からも伺えました。住居の中心には神棚の間が一部屋あり、毎日この神棚の間で拝み身を清めて下鴨神社に通われたと察します。
また上賀茂神社近くの社家・西村家庭園では、神官の住居で上賀茂神社源流の明神川を庭園に取り込み曲水の宴をしたり、神事の前に身を清めた禊の井戸や神山を形どった降臨石など当時の神官の暮らしが偲ばれました。非常に興味深かったのが、汚れた水を捨てる井戸があり水質保全の知恵に驚きました。住居の暮らしの中でも神事が中心だったのですね。
お楽しみの昼食は400年の歴史を持つ「山ばな平八茶屋」さんの名物“麦飯とろろ”をいただきました。麦飯とろろは比叡山の僧が立ち寄り食したお料理で、麦飯は消化が悪いのでとろろをかけたのが始まりだそうです。お店の前の通りは若狭街道につながっており、鯖が運ばれた街道・鯖街道としても知られています。鯖を塩でしめて運ばれますが、ちょうど平八茶屋の店あたりで塩の塩梅が良くなるので、若狭の守がいつも平八茶屋で籠を止めては塩周りの良い鯖を味わったというお話が残っています。
今回は、神事に携わった人の暮らしを学んだコースでした。歴史は違えども、私たちの暮らしの中にもまだ残る神事、例えばお正月の門松など身近なもので比べることができてとても楽しかったです。42回も続いている式年遷宮の上賀茂神社から毎日行われている神事。同じことを繰り返すこの行いが神髄なのではないかと思う散策でもありました。
京の夏の旅も9月で終了お早めに!
らくたび 谷口
世界文化遺産の上賀茂神社(賀茂別雷神社/かもわけいかづちじんじゃ)と下鴨神社(賀茂御祖神社/かもみおやじんじゃ)のお社を訪ねて、21年に一度の式年遷宮のお話を聞きました。上賀茂神社・檜皮葺の優雅な社殿は賀茂別雷神を祀る「本殿」と常設の仮殿「権殿」があります。式年遷宮のときはこの権殿に本殿に座する神様を移して本殿の修理修復するのだそうです。伊勢神宮は修理修復ではなく、新しく建物を建て替えるので、世界文化遺産には指定されないことを知りました。そして20年度に一度の式年遷宮の伊勢神宮に対し上賀茂神社の式年遷宮は21年度に一度はなぜ?これは、伊勢神宮と同じでは恐れ多いとして一年多くなっているのだそうです。
式年遷宮の祝ののぼりが立つ上賀茂神社前
上賀茂神社細殿・立砂
下鴨神社は上賀茂神社の祭神・賀茂別雷神の祖父賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)と母の玉依媛命(たまよりひめのみこと)が祀られています。この祭神のいわれには、“玉依媛命が賀茂川にいたとき上流から流れてきた矢を拾い持ち帰ったところ懐妊して男の子を生んだ。これを祝い賀茂建角身命が神々を集めて酒宴を開いて、この席で御子(子供)に「汝の父と思う神に盃を捧げよ」と盃を渡したところ御子は「わが父は天津神なり」と答え、雷とともにそのまま昇天され賀茂別雷神になった”という話があります。隣接する上賀茂神社、下鴨神社の御祭神のつながり(相関関係)がうまくできているなと感心しました。
下鴨神社前
今回のテーマの中には上賀茂神社、下鴨神社に仕えた神官や学問所の絵司などの役職の人が神社の周りに住んだ社家の特別公開があり、神職に臨む暮らしぶりがよくわかりました。
下鴨神社近くの社家・旧浅田家の秀穂舎(しゅうすいしゃ)は公文書や歴史教育の官の絵司として仕えた人の住居でした。禊場である泉川が建物沿いに流れ、鳥居の形をした華表門(かひょうもん)や、その前に歳神様を招く神籬(ひもろぎ/民家の門松にあたる)である歳木(としぎ)を年中置くなど、神社に仕える者の住居らしさが外からも伺えました。住居の中心には神棚の間が一部屋あり、毎日この神棚の間で拝み身を清めて下鴨神社に通われたと察します。
社家・旧浅田家の秀穂舎 華表門
門松にあたる歳木
また上賀茂神社近くの社家・西村家庭園では、神官の住居で上賀茂神社源流の明神川を庭園に取り込み曲水の宴をしたり、神事の前に身を清めた禊の井戸や神山を形どった降臨石など当時の神官の暮らしが偲ばれました。非常に興味深かったのが、汚れた水を捨てる井戸があり水質保全の知恵に驚きました。住居の暮らしの中でも神事が中心だったのですね。
社家・西村家庭園
汚れた水を捨てる井戸
お楽しみの昼食は400年の歴史を持つ「山ばな平八茶屋」さんの名物“麦飯とろろ”をいただきました。麦飯とろろは比叡山の僧が立ち寄り食したお料理で、麦飯は消化が悪いのでとろろをかけたのが始まりだそうです。お店の前の通りは若狭街道につながっており、鯖が運ばれた街道・鯖街道としても知られています。鯖を塩でしめて運ばれますが、ちょうど平八茶屋の店あたりで塩の塩梅が良くなるので、若狭の守がいつも平八茶屋で籠を止めては塩周りの良い鯖を味わったというお話が残っています。
400年の歴史を持つ 山ばな平八茶屋
麦飯とろろと京料理がセットになって
比叡山の僧が食した麦飯とろろ
今回は、神事に携わった人の暮らしを学んだコースでした。歴史は違えども、私たちの暮らしの中にもまだ残る神事、例えばお正月の門松など身近なもので比べることができてとても楽しかったです。42回も続いている式年遷宮の上賀茂神社から毎日行われている神事。同じことを繰り返すこの行いが神髄なのではないかと思う散策でもありました。
京の夏の旅も9月で終了お早めに!
らくたび 谷口