2021年02月25日
二条城がいっぱい!~麒麟がくる7~
らくたび出版スタッフの戸塚です。
世間では、麒麟ロスという言葉が密かにつぶやかれているようですが、先日の4時間におよぶ総集編をもって大河ドラマ「麒麟がくる」が幕を閉じました

書籍を1冊編集させてもらったこともあり、個人的にも一番愛着のある大河ドラマです。「麒麟が行っちゃたよね~」と頭の片隅で思いつつ、御池通を歩いていると・・・・・・
烏丸通りとの交差点、ちょうどマンガミュージアムに差し掛かったあたりで、二条殿交番の文字が目に飛び込んできました。
そういえば、光秀が本能寺を信長もろとも炎に包んだ後、信長の子・信忠を討ったのが「二条殿」でした。そんな歴史の一コマが交番の名前に残っているんですね。しかも、今まで何度もここを通っていたのに、初めて気がつきました。
マンガミュージアムの裏(両替町通)にある石碑。
信忠が宿をとっていたのは、二条殿の隣りにある妙覚寺でした。父・信長の救出を断念すると、二条殿の誠仁親王を逃がし、光秀の軍勢と一戦交えた後、潔く自刃。
現在、妙覚寺は西陣に移転しているものの、かつて付近が妙覚寺であったことが、町名から見てとれます。
さて、ここからがややこしいところです。二条と名が付く権力の館は、戦国時代の京に約3件。しかも、しばしば、そのいずれもが「二条城」と呼ばれます。
2件目は、京都御所西の平安女学院にある「旧ニ条城」跡。信長が将軍・足利義昭のために、約70日で築城したというあの城です。ドラマでは、石仏を築材として使う信長に、光秀が違和感を覚える場面が描かれてました。
石仏の一部は、京都文化博物館に展示されています。京都検定の合格者は3月末まで無料で入館できるので、よかったら行ってみてください。
そして3件目、今「二条城」といえば、普通はこちらを指します。徳川家康が、将軍宣下の祝宴の場として、また上洛時の居館として1602年に築いた城です。
明治~昭和にかけて、皇室の管理下に置かれたことから、現在の正式名称は「元離宮ニ条城」といいます。
う~ん、やっぱり京都は、なにかとややこしいです

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Posted by らくたびスタッフ
at 04:28
│戸塚