京つう

らくたび  |洛中

新規登録ログインヘルプ



2020年04月26日

戦国時代に闊歩した公家のお話

今日は戦国時代の公家を代表する山科言継(やましなときつぐ)
の生まれた日。財政の最高責任者である内蔵頭を務めており、
「麒麟がくる」では織田信秀蹴鞠を教えに来ていた。
その他にも今川義元、のちには織田信長とも親交を深めて
公家社会で独自の地位を確立。50年にも及ぶ日記
『言継卿記』は一次資料として貴重。その武器はなんと。。。

ずばりお酒。めっちゃ酒豪だったとか。その武器を
人脈作りにフル活用。お酒の席は打ち解け合えると
いうことか。今川義元との宴席の後、義元のことを
「下戸だ」と評したらしいけど、その義元もその時
2~3升飲んでいたらしいから。。。一体どんだけ
飲むのか。。。行動派であった近衛前久もそうだけど、
こういう公家にも似合わぬ所が愛されたのかも。

山科言継の子である言経は勅勘をこうむって、
その後、四辻家から教遠が山科家を継ぎ、
続いてその弟である教利が山科家を継承したけど、
徳川家康の取り成しを受けた言経が山科家当主に
復帰すると、教利は猪熊家を新たに作って「猪熊教利」
となり、宮中と江戸幕府を揺るがせた猪熊事件を起こす
こととなる。そう考えると、山科家は悪名を残すことなく、
良かったとも言えるなぁと。

山科言継の墓は清浄華院にある。今年明智光秀の
念持仏公開で話題の廬山寺の北隣にあって浄土宗
の大本山の一つ。ここは幕末の尊攘派の公家で
あった姉小路公知の墓や、錦旗のデザインを考案した
玉松操の墓があるが、門前に墓があることを示す石碑
があるのは山科言継(写真の赤枠)のみ。
まだお参りに行けてないので次回こそ。

戦国時代に闊歩した公家のお話

~本日のTwitterの補強版です~
https://twitter.com/yamamura_junya



同じカテゴリー(山村)の記事画像
キリシタン大名 大伴宗麟と京都
偉大すぎる父を持つ子供は大変?
~凡将?愚将?謀将?評価の分かれる戦国武将~
応仁の乱は誰のせい?
明智光秀ゆかりの地 その3
明智光秀ゆかりの地 その2
同じカテゴリー(山村)の記事
 「京都浪漫」出演のお知らせと雑感 (2020-10-07 11:13)
 キリシタン大名 大伴宗麟と京都 (2020-05-04 10:31)
 豊臣秀吉の朝鮮出兵を考える (2020-05-03 10:09)
 偉大すぎる父を持つ子供は大変? (2020-04-30 18:00)
 京都にいた名奉行、知ってますか? (2020-04-29 16:00)
 ~凡将?愚将?謀将?評価の分かれる戦国武将~ (2020-04-27 14:26)

Posted by らくたびスタッフ    at 16:53 │山村