11月13日の京都さんぽで秋の大原へ行きました。田中講師の散策案内のもと添乗をいたしました。秋の大原散策は紅葉に色付きはじめている
グラデーションの紅葉情報も併せてレポートいたします。
地下鉄の国際会館前で下車し、京都バスで19番の大原行きに乗りました。京都バスの大原バスターミナルで13時に集合し一路、三千院へ向かいました。
三千院へ向かう途中の道でしば漬けのお漬物店が軒を並べ、帰りの道では絶対に買うぞと思いながら歩いていると、参道の道も黄色から紅く染まり始めの紅葉が見えてきました。
土産物店を横目に歩く
参道脇に沿って紅葉が見える
三千院門跡石碑の前
三千院に近づくほど紅葉は紅くなっていました。門前の紅葉は見頃です。石垣に囲まれた御殿門は門跡寺院にふさわしい風格です。階段下から見上げる風景は圧巻です。
真っ赤に染まる紅葉
三千院の御殿門前
三千院の前身は比叡山東塔の草庵でのちに梶井門跡として妙法院、青蓮院とともに
天台宗三門跡の一つとなりました。客殿から最初に見えるお庭が聚楽園。少しだけ黄色く色付きはじめていました。聚碧園を見ながら客間を通って宸殿へ。
聚碧園
宸殿でお参りをして振り向くと眼下に広がる雄大な有清園。高い杉の合間に黄色とオレンジ色に染まった木々が地面の苔の緑と相まってとても綺麗でした。
聚碧園で木々のトンネル
雄大な庭園
聚碧園の中にある往生極楽院阿弥陀堂。安置されているのは国宝・阿弥陀三尊像。阿弥陀如来の両脇侍は平安時代のもので、
倭座(やまとすわり)で有名な観音菩薩と勢至菩薩です。倭座とは少しだけ腰を浮かして座っておられる姿のことを言います。
今から極楽往生へ迎えんとする瞬間の姿を表現されているそうです。蓮の台に魂を乗せて極楽に向かう。死を迎える時、
阿弥陀様が極楽浄土へ導いてくださるのだそうです。とても神聖で神秘です。
往生極楽院阿弥陀堂前で
三千院のお庭を堪能した後は
勝林院へ。勝林院は円仁(慈覚大師)の弟子寂源が法儀声明の修練道場として創建(1013年)したのが始まりです。後に仏を讃える歌謡や経を読む音律として広がった
天台声明の根本道場となりました。また、1186年に天台宗の顕真が浄土宗の法然を招いて法然上人が唱える専修念仏について論議した
「大原問答」が行われたところでも有名です。近くには“
法然上人のこしかけ石”や法然上人の弟子・
熊谷直実が護衛の鉈を捨てたとされる
“鉈捨薮跡”などの伝説が残っています。
勝林院前で
大原問答で法然上人を守ろうと熊谷直実が持っていた鉈を、法然上人に諭されて鉈を捨てたとされる薮跡
勝林院を後にして一行は寂光院へ。道すがら歩く道の風景は紅く色付く前の黄色、オレンジの紅葉がグラデーションで彩られていました。大原の田園風景を楽しみながら歩くと出家した建礼門院徳子が余生を送る寂光院へ行く途中で、泉に春のおぼろ月夜と自分の姿を映し見たとされる
“朧の清水”があります。
少しだけ面影を残す建礼門院ゆかりの朧の清水
まだ緑の紅葉が残る寂光院参道の風景
寂光院門前で売られている伽羅蕗や山菜の佃煮を売るお店
寂光院の門前では赤と黄、緑の紅葉が広がっていました。真っ赤に燃える紅葉風景もよいですが三色揃った紅葉もまた趣が変わってよかったです。
三色の紅葉。寂光院門前
寂光院は1400年前、
聖徳太子が父帝用明天皇の菩提を弔うために創建されたと言い伝えられています。800年前に源平戦乱の末に敗れ
た平清盛の娘徳子が東山の長楽寺で出家後29歳の時に大原の里に住まわれ、この
寂光院で夫高倉天皇や子安徳、平家一門の菩提を弔い、生涯を静かに閉じられたそうです。本堂は平成21年に不慮の火災により焼失。本尊の地蔵菩薩は全身を焦がしながらも残っていたそうです。本尊地蔵菩薩はじめ本堂などは建て直され真新しい姿の本尊地蔵菩薩を拝顔することができます。
本堂
苔もきれいです
寂光院を後にして、帰りの道へ。道の途中気になっていた大原の味噌屋さんへ寄りました。自家製のお味噌をはじめ白みその生キャラメルやアイスクリームを買っておられました。
大原の味噌屋さんでお土産の品定め
帰り道の大原の里田園風景
私も、お土産にしば漬けを買いました。さっそく夕食で頂きました。また、次の日のお弁当にもしば漬けを入れました。しば漬け三昧です。
大原名物しば漬け
茄子と茗荷のきざみしば漬け
大原の里は京都市内とはまた違った風景が広がり、比叡山が近いことから歴史もたくさん点在します。参道沿いにはお土産物屋さんが軒を並べているので歴史を検証しながらそぞろ歩きの散策にピタッリだと思います。これから一挙に紅葉は紅く染まりあがります。古の秋の大原を紅葉、お土産ともにお楽しみください。もう見頃ですよ~。
らくたび 谷口