2011年04月30日
明智光秀の本能寺襲撃ルートを訪ねて!
5月3日に開催される京都さんぽ、今年の大河ドラマでも
見どころの一つであった 「 本能寺の変 」 がテーマです。
この事件をおこした明智光秀は、現在の亀岡市にある
亀山城を居城としており、こちらから備中高松にて
毛利攻めをしている羽柴秀吉の援軍に向かう予定だった
のです。その光秀が、 「 敵は本能寺にあり! 」 という
名セリフとともに、本能寺へ向かったと思われるルートを
今回は辿っていきます。
今日はその見どころをかいつまんで紹介しましょう。
まずはメインルートとなる山陰街道。
重厚な門構えの家や旧家が軒を連ねます。
すぐに見えてくるのが、足利高氏(のちの尊氏)が旗上げをした
篠村八幡宮です。
高氏が源氏の白旗を立てた 「 旗立ての楊 ( やなぎ ) 」 も社殿裏に
あります。これは現場を見てのお楽しみ♪
さらにここから山陰街道は山へ入ります。
途中にはこんなシーンも随所に見られます。
そして峠にさしかかると、これより山城国の石碑が。
そのすぐ近くに、今回のメインである首塚大明神が出現。
中はあまりにも怖い?ので鳥居の写真のみ掲載しますね。
そこから一気に山を下り、下りきった場所には桓武天皇の
母になる高野新笠(たかのにいかさ)の御陵が。
墓前までいくかどうか当日の状況を見て判断しますので、
写真を載せておきますね。
ここからは、宿場町として栄えた樫原を抜けて、一路桂へ。
途中にはこんな風情ある旧家も。また明智光秀ゆかりの
史跡も点在します。
最後は、 「 麦代餅 ( むぎてもち ) 」 で知られる中村軒を
目指してラストスパート!! 当日は、心地いい疲れと、
明智光秀が通った丹波路を踏破した充実感に浸りましょう!!
お申込みは当日朝一まで受け付けております。
こちらまで。
見どころの一つであった 「 本能寺の変 」 がテーマです。
この事件をおこした明智光秀は、現在の亀岡市にある
亀山城を居城としており、こちらから備中高松にて
毛利攻めをしている羽柴秀吉の援軍に向かう予定だった
のです。その光秀が、 「 敵は本能寺にあり! 」 という
名セリフとともに、本能寺へ向かったと思われるルートを
今回は辿っていきます。
今日はその見どころをかいつまんで紹介しましょう。
まずはメインルートとなる山陰街道。
重厚な門構えの家や旧家が軒を連ねます。
すぐに見えてくるのが、足利高氏(のちの尊氏)が旗上げをした
篠村八幡宮です。
高氏が源氏の白旗を立てた 「 旗立ての楊 ( やなぎ ) 」 も社殿裏に
あります。これは現場を見てのお楽しみ♪
さらにここから山陰街道は山へ入ります。
途中にはこんなシーンも随所に見られます。
そして峠にさしかかると、これより山城国の石碑が。
そのすぐ近くに、今回のメインである首塚大明神が出現。
中はあまりにも怖い?ので鳥居の写真のみ掲載しますね。
そこから一気に山を下り、下りきった場所には桓武天皇の
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写真を載せておきますね。
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お申込みは当日朝一まで受け付けております。
こちらまで。
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Posted by らくたびスタッフ
at 18:42
│山村