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Posted by 京つう運営事務局  at 

2016年11月05日

京都さんぽは“丸竹夷”わらべ唄で京さんぽ♪第五回 八条通から九条通、羅城門跡でゴール!レポート

今日の京都さんぽは“丸竹夷”わらべ唄で京さんぽ♪第五回 八条通から九条通、羅城門跡でゴール!です。
講師・森の散策のもとスタッフの谷口はこの丸竹夷わらべ唄京さんぽシリーズ最終回に添乗しました。その添乗リポートをご報告いたします。

空海ゆかりの綜芸種智院跡


京都駅中央改札口から出発して八条通りを西へ歩き、京都さんぽの一行は綜芸種智院跡に向かいました。平安時代は身分の高い者しか学問が学べなかったのを嘆いて空海が庶民にも学問ができる学校を、と建てたのが綜芸種智院です。空海が亡くなったあとは残念ながら継ぐ人がなく衰退しました。後は伏見の種智院大学がこの伝統を受け継いでいます。

伏見稲荷大社御旅所


綜芸種智院跡から南へ歩くと伏見稲荷大社の御旅所があります。4月20日近くの日曜日から5月上旬までに「稲荷祭」が執り行われ、この期間には御旅所に神輿が移動して滞在します。東寺近くに伏見稲荷大社の御旅所があるのは、東寺を造るときに稲荷山の木材を調達したこと、また東寺の南東(辰巳)の方角にあることから伏見稲荷大社に守護を頼んだことなどからここに御旅所が造られたそうです。こちらで恒例の“丸竹夷”わらべ唄をみんなで歌いました。

東寺餅


伏見稲荷大社御旅所を後にして一行は東寺へ。東寺へ入る前に門前にある名物東寺餅さんへ寄りました。みなさん楽しそうでした。

いざ東寺へ


桓武天皇が794年に平安京を作り、羅城門を中心に東寺と西寺が建立されましたが、寺として機能したのは30年後の嵯峨天皇の時代だったそうです。弘法大師空海が唐で学んだ密教を広め東寺を発展させました。東寺のすごいところは、建立された平安時代から一歩も動かず、また寺の規模もほぼ同じという点です。真言宗総本山教王護国寺、字のごとく仏教で国を守る役割を担っていました。

東寺・五重塔前で


五重塔は高さ55メートルで木造建築日本一を誇ります。創建から五代目の五重塔ですがこれまで地震で倒れたことはなく、雷に打たれて過去3回倒壊しています。地震に強くとも火に弱かったのですね。

屋根の下で頑張る天邪鬼


1644年徳川家光に再建された五重塔屋根の四角の下には天邪鬼があります。天邪鬼ゆえに「地震が来ても私は揺れないぞ」と堪えている天邪鬼だそうです。遊び心がうかがえます。現に五重塔の構造は塔の上下が互い違いに揺れて、揺れを吸収する仕組みになっているそうです。

南大門


九条通りに面している南大門。この門が正面で、かつてはこの門を通って金堂のご本尊・薬師如来を拝みに来られたそうです。

金堂 本尊薬師如来


金堂のご本尊は薬師如来。真言宗の本尊は大日如来であることが多いのですが、東寺は国を守る教王護国寺であるため人の病気も治し、かつ国の抱える病をも治すということで薬師如来がご本尊となりました。こちらの薬師如来は薬壺を持っていないのが特徴です。

金堂 立体曼荼羅


金堂の中には大日如来を中心に明王部五体、如来部五体、菩薩部五体、そして、その周り四隅を広目天や帝釈天、増長天、多聞天、梵天、持国天が守っています。経典や字を読めない人にも仏教の教えがわかるように立体的に曼荼羅の世界を表現したのだそうです。

御土居


東寺を後にして御影堂から東寺通を西へ歩くと「御土居」というバス停があります。御土居は豊臣秀吉が造った京都を囲む土塁(堤防状の壁)です。今は陰も形もありませんが、地名で残っています。

千本通(平安京のメインストリート朱雀大路)


御土居のバス停から少し歩くと南北に走る千本通があります。この通りはかつて平安京のメインストリートであった朱雀大路で幅81メートルもありました。今は千本通と名を変えて道幅も6メートルと狭くなり時代の推移を物語っています。

鎌達稲荷神社(けんたついなり)


東寺の七本松に鎌達稲荷神社があります。“けんたつ”と読むことから剣術のご利益でも信仰されたそう。日露戦争のときには弾丸に当たらないように祈願されたとも言われます。

西寺跡へ向かう


平安京が造られた当初、東寺とほぼ同じ規模を持ったという西寺に向かって小高い丘を歩きました。今はない西寺跡に向かう一行の列が夕日と相まってなんとも和む風景でした。

西寺跡の石碑前で


東寺と同じ時期に平安京を守る寺としての役割を担った西寺は、僧・守敏が住持しましたが、度重なる火災や、都の西側は湿地地帯という悪条件から病気が流行り徐々に衰退。後に焼けて亡くなり再建されないまま西寺は石碑を残すのみとなりました。

矢取地蔵


京都さんぽ“丸竹夷”わらべ唄で京さんぽ♪の最後の通である九条通を歩き、空海と守敏の物語がある矢取地蔵へ。東寺の空海、西寺の守敏はライバル同士でした。ある日、都に日照りが続き天皇は二人に雨乞いの祈祷を命じました。先に守敏が雨乞いをしたところ雨は降らず、空海が雨乞いをしたときに雨が降りました。空海は天皇から信頼されたため悔しい守敏は恨みから羅城門の陰に隠れて空海を待ち伏せして矢で襲ったところ地蔵が身代わりになり空海の命が助かったとされたことから、悪いものの身代わりになる地蔵様として羅城門近くで安置されました。

ゴールの羅城門前


羅城門跡とかかれた表示の奥にある公園へ入ります。

羅城門跡の石碑


“くじょうおおじでとどめさす”の九条千本に位置する羅城門は今は公園になっています。羅城門も西寺がなくなった経緯と同じ運命をたどってしまいました。歴史の物語に出てくる羅城門は残っていてほしかったですね。

今回の京都さんぽは、東寺が今も変わらず現代に残る姿と、石碑のみとなった西寺を対比して空海の信仰のあつさや功績を実感する京都散歩でした。今回のシリーズは一旦終了ですが、また講師の森が京都の道をたずね歩く散策の企画を練っております。皆さま楽しみにお待ちください!!ありがとうございました~。

らくたび 谷口
  

Posted by らくたびスタッフ    at 11:23