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2017年02月24日

“京都十二薬師霊場・お薬師さんぽ 第二回源平ゆかりの史跡と東寺へ” レポート

2月8日に京都さんぽ添乗に行きました。“京都十二薬師霊場・お薬師さんぽ 第二回源平ゆかりの史跡と東寺へ”です。少し遅くなりましたが、レポートをご報告いたします。

出発はJR西大路駅です。JR京都駅の一つ手前の駅でありながらお客様の中には「この駅は初めて」とおっしゃる方もおられましたが、京都さんぽのツアー名のとおり源氏、平氏ゆかりの濃い地域でもあり、らくたび講師の森明子が史跡をたっぷりご案内いたしました。
JR西大路駅にて出発



【若一神社】
今から800年前の平安時代、若一神社の周辺から梅小路公園にかけては平清盛の西八条第でした。平清盛といえば平家ゆかりの土地として六波羅第が有名ですが、西八条第も約50の建物を有した別邸だったそうです。平清盛は人の出入りと情報が行き交う都の玄関口の羅城門や道路の八条大路が都合よいので梅小路エリアに邸宅を建て平家の勢力を図りました。その西八条第の鎮守社として建てられたのが若一神社で、紀州熊野の若一王子の御霊を招いたのが神社の始まりです。後に建物は焼き払われましたが、この神社だけが残り平清盛の歴史を今も伝えています。
若一神社にて



境内の中に平清盛から寵愛を受けた白拍子・祇王の歌碑があります。「萌出づるも枯るるも同じ野辺の草 いづれか秋にあはで果つべき」と刻まれ、世の常を憂う歌が詠まれています。西八条第に白拍子の祇王が住んでいました。ある日、仏御前と名乗る白拍子が屋敷を訪ね、舞を舞いたいと申し出たところ、平清盛はうちには祇王という白拍子がいるのでいらいないと断りましたが、優しい祇王は間を取り持ち、仏御前は平清盛の前で舞を舞うことができました。舞を見て一目惚れした平清盛は、あろうことか仏御前を邸宅に住まわせ、祇王を追い出しました。その時に祇王が一首書き残したのが歌碑の歌です。“いま青い若葉も枯れようとする葉や草も、同じ野辺の草のように秋なれば枯れ果ててしまうのです”という気持ちを残して寂しく嵐山の往生院(祇王寺)に移り住みました。後に仏御前も祇王と同じ運命を辿り屋敷を去ることになります。この歌を詠んで自分も同じようになると悟っていたのか、仏御前は祇王を頼って往生院で一緒に住みます。なんとも儚いお話が残ります。

白拍子の祇王歌碑



また、神社にはシンボルとしてひときわ目に着く大きな楠があります。この木は平清盛が太政大臣になった時に植えられ、不思議なエピソードがあるのです。昭和になって神社の前の八条通りを整備するときにちょうどこの楠が通りにかかるので伐採しようとされましたが、不幸なことが続いたので切られず、道路が楠を避ける形で作られ、今は無い市電もこの楠を避けて路線を走っていたそうです。悲哀と神秘に満ちた神社です。
平清盛ゆかりの楠



【稲住神社】
 若一神社を後にして一行は民家の細い道を歩きながら稲住神社へ。この神社は平安時代に陰陽師で知られた安倍晴明ゆかりの神社です。安倍家を継承して14代目の安倍有世(ありよ)は公卿にのぼりつめ、名前を安倍から土御門(つちみかど)と改め土御門家の元祖となりました。神社はこの土地ゆかりの安倍晴明を祭神としてお祀りしています。

稲住神社前にて



祭神 安倍晴明お祀りの社前にて



この稲住神社の横に少し斜め向いて建っている魔王尊を祀ったお堂があります。魔王尊とは鞍馬寺の祭神で鞍馬寺を遥拝するために建てられたと思われます。鞍馬寺は京都の北方を護るお寺であり、天体観測は天体の中心である北極星が重要視されるため、北に因んで鞍馬寺の魔王尊も一緒に祀られたのでしょうか。
 
祭神のお社と並ぶ魔王尊



【水薬師寺】
 稲住神社を出て町の小さな通りの西塩小路通に出ると十二薬師巡り三番札所の水薬師寺に着きました。902年にこの地の池から薬師如来が見つかり、醍醐天皇が理源大師に命じて薬師如来を本尊とするお寺を建てたのが始まり。後に衰退、再興、将軍家が尼寺として再興するなど皇室や将軍家の援護を受けたお寺で、本堂の大檀、須弥壇は御所から下賜された御所の証を見る事ができます。

水薬師寺本堂



 正式名を“塩通山医王院水薬師寺”と言います。“○○山”は山号の地名、“○○院”は院号のお祀りしている仏様、“○○薬師”は寺号の仏様の名前を現しています。「塩通山」は字のごとく“塩が通る道”を示し、京都駅前を走る“塩小路通”の通り名と同じく塩の通る道の地域で、福井の小浜から奈良東大寺二月堂まで水が流れ着くように塩も運ばれた道があったようです。「医王院」は病を治す医者を意味し、「水薬師寺」は水から現れた薬師様を祀ったお寺ということを説明しています。この地域は水の豊かな湿地帯で芹田や稲の田んぼが広がっていたようですと、ご住職から説明を受けました。
水薬師寺の歴史を聞く



 水といえば境内に水にまつわる弁財天の図子があり、平清盛ゆかりの伝説があります。その昔、境内の弁天堂の床下に石井と呼ばれる井戸がありました。平清盛が熱病を患ったときにこの井戸の水を汲んで浴したところたちまち水は湯となって清盛の熱は下がったということです。弁財天は七福神の中で唯一の女神で水に因む神様。弁財天近くには堀や池がある事が多く水薬師寺も水の豊富な地域にあり、水ゆかりのお寺として信仰をあつめたと思われます。ご本尊は毎年1月8日のみ御開帳だそうです。
平清盛ゆかりの井戸があった弁天様をお祀りする



【西寺跡】
 水薬師を離れ御前通を南へ歩くと西寺跡に着きました。西寺は794年に東寺と並んで国の官寺として建立されました。平安京ができる前の都・奈良では東大寺や唐招提寺などの仏教徒が国や政治に口出しをするようになり、朝廷は奈良を離れて長岡京へ都を置きましたが続かず、遷都して794年に平安京を作りました。平安京を作った桓武天皇は仏教徒に関わりを断つために天皇が許可した寺院しか建ててはならないとして、都の安寧のための寺である西寺と東寺だけが建立されました。西寺は990年に火災で焼失し再興されませんでした。一方、東寺は今も多くの信仰を集め残っています。 西寺が消滅したのは、湿地帯であった都の西に位置して病気が流行り人口が東へと移り住んだ事と、西寺の僧・守敏は優秀であったけれども、中国で密教を学んだ東寺の僧・空海に及ばず、空海が確実に人の心をとらえたからでした。西寺の建物の大きさは東寺とほぼ同じ大きさだったそうですが今は石碑を残すのみと成り果てました。
今は寂しく西寺の石碑が残る



【鎌達稲荷神社】
 西寺跡を後にして近くの鎌達稲荷神社へ行きました。この神社は土御門邸の鎮守社で、明治にこちらへ移されました。剣の達人に通じると言う事から戦に勝つとされ、日露戦争、第二次世界大戦では京都駅から出発する兵士が弾丸を受けないようにとこの神社をお参りして出発されたそうです。

鎌達稲荷神社にて



【千本通】
 次に訪れたのは、平安京のメイン通りの朱雀大路だった千本通。794年の朱雀大路は今とは違って84メートルの道幅を有して南北を貫く通でした。千本通の南端には羅城門があり、北へ4キロメートル行くと内裏がありました。当初はこの千本通が中心でしたが、豊臣秀吉の時代には西が衰退して千本通は都の西の端になり、洛中と洛外の境目に作られた秀吉の御土居(都のエリア)は平安京よりもだいぶ東よりになりました。明治時代まで御土居は残っていました。今も御土居の名残が見受けられます。
こんもり盛り上がる御土居を検証



【六孫王神社】
 一行は、千本通りを北へ歩き六孫王神社へ着きました。六孫王神社の名前は、清和天皇の六男を父として生まれた源経基ゆかりの神社で、源経基が皇室では六男の六と天皇の孫にあたることから由来します。
 源経基の子孫として、よく知られている松平、足利、細川、島津、明智などが名を連ねそれぞれ子孫が繁栄されているため、出世の神様として信仰が厚いです。源氏の家柄を説明されるときに “清和源氏の流れをくむ…”と説明をされたらこの神社を思い出してください。この地域も“源町”と言われています。

六孫王神社前の太鼓橋を渡って本殿へ



六孫王神社本殿



【東寺】
 本日最後の訪問の寺は、京都十二薬師霊場巡りの第二番札所の真言宗教王護国寺・東寺です。東京のスカイツリー建設に参考にされたという55メートルの五重塔を見て金堂へ。
東寺五重塔



金堂は1486年に焼失し1603年に豊臣秀頼の援助で再建されました。真言宗は本来、大日如来をご本尊として安置しますが東寺は国家が持つ悩みを治す寺であるため国の病を治す寺として薬師如来がご本尊になります。比叡山も国を護ることからご本尊は薬師如来です。中国から仏師を呼び作られた薬師如来は1600年代でありながら厳しさが感じられます。ご本尊の特徴は薬師如来なのに手に薬壺(やっこ)を持っていないことです。秀頼の再建時も平安時代の特徴をそのままにと薬壺を持たない薬師如来となりました。もう一つの特徴として、薬師如来像の脇侍に日光・月光菩薩、そして十二神将が周りに立ちますが、ここでは十二神将は薬師如来像の台座に刻まれている点です。特徴を勉強して拝観するとまた見方が変わってきます。

ご本尊が安置されている金堂



次は、講堂へ行きました。講堂の中は空海の構想による21尊が立体曼荼羅として安置されています。中心に真言宗の大日如来があって向かって左に厳しいお顔の仏様・明王、右に優しいお顔の仏様・菩薩が配置されています。明王は厳しく導き、菩薩は優しい姿で正しい道へ導くとされ、訪れる人の状態に合わせて作られたのが空海の立体曼荼羅でした。仏教の教えは経典に書かれてありますが、文字を読めない教養のない人にも理解できるようにと仏教の世界や教えを建物の中に表現しました。見どころはたくさんありますが、日本で最初に作られ、ここから全国に広がったともいわれている不動明王は有名で、空海作とも伝わる貴重な仏像でもあるのでお見逃しなく。また、帝釈天はお顔が男前で評判があります。

ワイドなサイズにも入りきらない講堂全景



 本日は平安京時代にタイムスリップした京都さんぽでしたが、ところどころに歴史をたどるヒントがあって、らくたび講師の森が解説すると「なるほど~」と当初の時代背景を頭に描くことができて楽しい一日でした。

 次回の京都十二薬師霊場巡りは3月8日です。らくたび講師・森明子と巡るらくたび京都さんぽ添乗の谷口も皆さまのご参加をお待ち申し上げております。先取りの春のさんぽを一緒に歩いて古の京都を訪ねましょう!

 3月8日の京都さんぽ 
第三回 京都十二薬師霊場巡り 


鎌達稲荷神社 苔が鮮やかな手水





らくたび 谷口


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Posted by らくたびスタッフ    at 20:55 │谷口らくたびガイドと歩く散策