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2017年01月26日

1月8日京都さんぽ、京都十二薬師霊場・お薬師さんぽ、第一回因幡薬師と歯痛止め薬師へレポート

1月8日京都さんぽ、京都十二薬師霊場・お薬師さんぽ、第一回因幡薬師と歯痛止め薬師へ

薬師巡拝は平安時代より盛んに行われました。お薬師様は国家の病から人の病まで治してもらえる仏様として信仰もあつく、江戸時代の中期には薬師十二ヵ所巡りが行われました。京都十二薬師霊場巡りは頑張ってまわると一日八時間で巡れるそうですが、京都さんぽでは、お薬師様を1~2寺訪ねてらくたび講師の森明子がゆっくりご案内。数か月かけて十二のお薬師様を訪ね歩きます。お薬師様のいわれと因果を学びながらご利益を賜りましょう!今回は第一回目の京都十二薬師霊場巡りで、第一番札所の因幡堂と第四番札所の壬生寺を訪ねたレポートです。

地下鉄五条駅出発



【因幡堂(平等寺)】
地下鉄五条駅を出発して、烏丸通から一本東の南北の通り不明門通(あけずとおり)を北へ上がると因幡堂(平等寺)に着きます。なかなか読めない不明門について少し説明をすると、源平時代に高倉天皇が因幡堂の近くを東五条院(別荘)として住まわれました。因幡堂の正面の南門がちょうど東五条院の建物と隣接していたため御所の建物を覗きこむのは良くないとして南門を開けないようにしたことから“あけずのもん”と呼ばれ、門の前の通りが“あけずのもんとおり”や“あけずとおり”となりました。
さて、因幡堂(平等寺)のご本尊は薬師如来です。京都薬師霊場の一番札所にもなっているご本尊には大変興味深い縁起が伝わります。鎌倉時代の末期に橘行平が因幡国(鳥取)へ行ったとき病にかかり夢で因幡の浜に霊木があると告げられます。すぐさま浜を訪れ見ると、お告げの通り薬師如来像がありました。病気も治癒した行平はお薬師様のおかげとお堂を作り安置して因幡の国を後にしたところ、お薬師様は飛来して行平の京の邸宅へやって来ました。以後、このお薬師様を祀ったのが因幡堂の始まりとされています。お薬師様は行平の元へ急いで飛来されたので、ご本尊は光背も台座もなくまた素足というユニークなお姿でお祀りされています。なんとも不思議なお薬師様です。ユニークなお姿といえば、頭にも特徴があります。度重なる火災で仏様を移動させるのに頭を打たないようにと防災頭巾を被っておられます。
因幡堂(平等寺)



京都難読地名の一つ不明門通



【松原通/平安の五条大路】
一行は因幡堂を後にして松原通を西へ向かいました。松原通は昔、平安京の五条大路にあたり、幅約24メートルの東西の大きな道で、東に向かって歩くと清水寺にたどりつき、清水寺参拝のメイン通りでもありました。しかし、豊臣秀吉の時代に当時の五条橋(現在の松原にかかっていた橋)を六条坊門に移し五条橋としたことから、松原通は縮小され道幅も現在のとおり細くなりました。以後、松がたくさん生い茂る道になったので「松原通」と呼ばれるようになったとも言われています。歴史が物語るとおり秀吉の時代まではこの松原通は京都のメイン通だったので歴史の史跡や逸話がたくさん残る通なのです。

【新玉津嶋神社】
烏丸松原から西へ少し歩くと左側にひっそりと建つ新玉津嶋神社があります。「にいたまつしまじんじゃ」と読みます。和歌ゆかりの神社でもあり、平安末期から鎌倉時代初期にかけての歌人として名高い藤原定家の父・藤原俊成邸宅でした。俊成は歌人であり、歌の先生でもあり和歌集の撰者でもありました。門下の一人に平家の平忠度が俊成に師事しています。平忠度は、木曽義仲が京に攻め入り平家一門が都落ちするなか、危険を顧みず俊成の邸宅に訪れて忠度の秀歌の巻物を託すというエピソードが残っています。忠度はこの先長く生きることはできないかもしれないから平和な世の中になり和歌集が作られる時はぜひ私の和歌を一首なり撰んでほしいと、和歌集の撰者である俊成に懇願したのだそうです。その後、俊成は「千載和歌集」にて約束通り“さざなみや 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな”
という一首を撰んでいます。ただ当時は朝敵であった平家一門の一首であったため、平忠度の名前を出すのは阻まれて、詠み人知らずとして世に出されました。

和歌の神社・新玉津嶋神社



【五条天神宮】
 新玉津嶋神社を出て松原通りを西へ歩き西洞院通に着くと五条天神宮があります。この神社も創建時代は移動される前の五条大路に面していたことから五条天神宮と名付けられました。一方の西洞院通は昔、西洞院川が流れていて染物をこの川で洗い流していたそうで今は川の姿はありませんが、染物関係のお店が残ります。五条天神宮の天神というと、菅原道真ゆかりの“天神さん”を思いだされるかもしれませんが、この神社は菅原道真が生まれる前から存在していたので道真ゆかりの神社ではなく、元来の天津神(あまつかみ)をお祀りしており、天を司る天照大神、大己貴命、少彦名命を祭神とする天使社です。天の神様は“天から雨をもたらし、田んぼに雨を降らせて稲穂が育つ”として信仰され、古くから五穀豊穣、子孫繁栄の神様として崇められてきました。
 ちなみに、菅原道真が天神様と呼ばれるようになったのは、平安中期にライバルの藤原時平の企てで九州の大宰府に左遷され都に戻ることなくこの世を去った因果に由来します。道真の死後都では良くないことが多々おこり、これは道真の祟りと噂され、極めつけの事件である御所に落雷が落ちて死者が出た時は、天から道真が雷を落としたとされ“天神の神”へと神格化されていきました。祟りを恐れた朝廷が道真の怨霊を鎮めるために作られた神社は数知れずありますが、いつしか祟りの要素は消えて学問に秀でた道真の能力を授かりたいと願う学問の神様の存在になり、学問の“天神さん”の呼び名で今日親しまれています。五条天神宮で忘れてはならないのが、源義経と弁慶ゆかりの神社であることです。「義経記」によると、二人が初めて出会った場所が五条天神宮の近くにあった五条橋。♪京の五条の橋の上~♪で始まる「牛若丸(源義経)」の歌でも出てくるように、当時の五条の橋は西洞院川にかかっていた松原通(当時の五条大路)の橋になるのです。弁慶が千本目の刀を奪うために五条橋で待っていたところやって来たのが源義経(牛若丸)で、出会った物語が残っています。

現代の建築物に囲まれた五条天神宮



五条天神宮にお参り



【天使突抜通】
 五条天神宮から松原通を西へ行くと東中筋通に交わります。東中筋通は別名「天使突抜通」“てんしつきぬけどおり”と呼ばれています。因幡堂の不明門通と同じく京都の難読・ユニーク地名の一つです。この通り名は、昔、五条天神宮の境内であったこのあたりを、豊臣秀吉が京都の町を改造するために、あろうことか天使様の境内を突抜けるように通りを作った事から由来します。天使社の五条天神宮を突抜けるように通りを作ったということから“天使様を突きぬいた通り”と民衆が皮肉って名付けたそうです。
五条天神宮の境内であった天使突抜通



【天道神社】
 天使突抜通を一行は北へ向かい、道元禅師示寂の地を訪ね仏光寺猪熊通西北角に鎮座する天道神社へ。天照大神を主神とするこの神社は天道宮と呼ばれ元は長岡京市にありました。桓武天皇の平安遷都とともに東洞院御池付近に勧請されましたが、度々の火災で焼失。その後、1547年織田信長に現在の地を拝領し再興され現在にいたるそうです。境内には明治天皇の皇后・昭憲皇太后の御胞衣(おえな/胎盤)塚があります。皇太后は一条家の生まれで皇太后の父が娘の栄華祈願に娘の御胞衣を埋納したところ、ご利益か19歳のときに皇后宣下を受けられたということです。街中に根付いた神社ですが、歴史が奥深い天道神社でした。

平安遷都ともに建立された天道神社



明治天皇の皇后・昭憲皇太后の御胞衣塚



【壬生寺】
天道神社を後にして最後の目的地、壬生寺へ向かいました。壬生寺は律宗の大本山で快賢僧都が建立したお寺です。
壬生寺本堂


今回は京都冬の旅の特別公開になっている本堂や狂言堂を拝観。本堂ではご本尊の地蔵菩薩立像や奈良・唐招提寺に伝わる国宝・鑑真和上坐像の「お身代り像」が初公開されています。狂言堂では壬生狂言の舞台や衣装、面などが観賞できます。壬生狂言は中興の祖である円覚上人が説法をしたのが始まりで、説法を来聴した人は十万人に及んだということで円覚上人は“十万上人”とも呼ばれたとか。説法を聞きに来た人たちにわかり易くするために、身振り手振りで演じた宗教劇が壬生狂言でした。壬生狂言は無言の演技で知られていますが、綱渡りやアクロバット的な場面もあって、声を出す演技以上に見る者の心をハッとさせます。演目は2月の節分祭で奉納された炮烙を割る「包絡割り」や伊東若冲が奉納した面を使用する「花折」、山端(やまばな)の茶屋名物のとろろ汁にまつわるユーモアな物語の「山端とろろ」など三十話あります。壬生の地元の方が演じておられ、台本無しで聞き伝えや見て覚えて伝承される伝統芸能です。舞台にはお地蔵様が祀られており、説法をすると同時に狂言をお地蔵様に奉納します。
また、壬生寺は大政奉還150周年にあたり、幕末ゆかりのお寺として公開されており、新撰組が境内を剣術の稽古や鉄砲を撃つなどの訓練場としていた歴史を紹介しています。本日、京都さんぽでお伺いしたときも新撰組同好会の方々が新撰組の衣装を着て壬生寺を訪れておられました。聞くところによると同好会の新年会の前に壬生寺の本堂を一同でお参りに来られたとか。今も熱心なファンがおられるのだと感激しました。
最後に忘れてはいけないのが、本日のメインテーマ“京都十二薬師霊場巡り”。第四番札所で、壬生寺の歯痛止薬師さんをお参りしました。薬師様が少し微笑んでおられて「は、は、は」と笑っているかのように見えるので歯の病に霊験があるとされました。
京都十二薬師霊場4番札所・壬生寺歯痛止薬師



新撰組愛好会の皆さん



一同本堂へお参り



充実した本日の京都さんぽ。来月の京都十二薬師霊場は2月8日(水)の“源平ゆかりの史跡と東寺へ”です。第2回の薬師めぐりも、らくたび講師の森がわかり易くゆっくりご案内しますので、皆さま是非ご参加ください。添乗の谷口もお待ち申し上げております!お薬師めぐり楽しいですよ~。詳しくはこちらまで!

らくたび 谷口







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Posted by らくたびスタッフ    at 00:46 │谷口らくたびガイドと歩く散策