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2016年12月22日

12月4日京都リビング新聞社・四季折々とっておき京さんぽ

四季折々とっておき京さんぽ

らくたび講師の若村がご案内する京都リビング新聞社・京さんぽに勉強のため参加させていただきました。本日の京さんぽのコースは桓武天皇の寺院統制の官寺であった西寺と東寺周辺を中心に、平安時代ゆかりの神社仏閣をたずね歩きました。当日は冬にもかかわらず梅雨のようなシトシトと降る雨模様でした。雨と言えば平安京創建時より建立を許された東寺と西寺の僧侶、空海(東寺)、守敏(西寺)が雨乞いの名師として名高く、今日の雨は二人の僧の縁であると感じました。

JR西大路駅前にて

12月4日京都リビング新聞社・四季折々とっておき京さんぽ


≪若一神社≫
最初に訪れたのは西大路八条にある若一神社です。800年前の平安時代の末期、1166年の創建ですが、起源は772年唐から渡来してきた威光上人が若一王子のご神体を背負って熊野の修行中に当地の古堂で一夜を明かした時にご神託を授かり堂中にご神体を安置したのが始まりです。

若一神社鳥居

12月4日京都リビング新聞社・四季折々とっておき京さんぽ


本殿前

12月4日京都リビング新聞社・四季折々とっておき京さんぽ


その後、お堂は荒廃しご神体も地中に埋まりました。時を経て1166年平清盛が熊野詣の際にこの地を訪れ「地中に埋まっているご神体を世に出しなさい」というご神託を受け、若一王子のご神体を探し出します。この場所にご神体の社殿を造営した後、平清盛が太政大臣に任ぜられたことから開運出世の神様となりました。境内には開運出世の水「神供水」があり、今も出世を願ってこの水を授かる人で後を絶ちません。この神社の楠は平清盛手植えのと伝えられ、不思議な都市伝説も残っています。今も平清盛公のパワーが得られる神社です。

鳥居をくぐる

12月4日京都リビング新聞社・四季折々とっておき京さんぽ


名残の境内紅葉

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平清盛ゆかりのご神水

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≪梅林寺≫
次に向かったのは若一神社から歩いて10分、梅小路の西側に位置する梅林寺。平安時代の大陰陽師・安倍清明を始祖として、江戸時代には土御門家として現在の梅小路一帯に屋敷を構えていました。安倍清明の直系子孫の土御門家の墓があり、歴代暦作成や天文観測の職に従事されていたことから「天球儀の台石」が境内に残っています。この地で京の大事な祭事や行事を天文学から読みとってこられたのでしょうか。
梅林寺ご住職より話をうかがう

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≪西寺跡≫
京さんぽの一行は梅林寺を後にして南へ歩く事15分。西寺跡の小高い丘へ到着。西寺は当時と同じく794年に創建されましたが今は石碑が残るだけです。

小高い丘に上り西寺跡へ

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西寺と東寺は二大官寺でしたが創建から三十年後に整備され、時の天皇である嵯峨天皇から823年に、東寺は空海、西寺は守敏と下賜されました。西寺の土地は水はけが悪いことから環境が悪化し、平安後期には住民が東寺のエリアへ移住するなど、鎌倉時代には荒廃し1233年の焼失で史上から姿を無くしました。お寺の栄枯盛衰をみるようです。
淋しさ漂う冬の石碑

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≪矢取地蔵≫
次は空海・守敏の逸話が残る矢取地蔵へ向かいました。空海と守敏は因縁のライバル同士。824年の日照り続きの日に淳和天皇が雨乞いの名師の二人に祈願を命じます。これが有名な「雨乞い合戦」です。軍配は空海に上がりました。当時は空海や守敏のような僧が、法力(加持、祈祷、呪術)で国を守り、雨乞いなどを行っていました。最初に雨乞いの祈祷をしたのは守敏でしたが雨を降らすことができませんでした。次に空海が神泉苑で雨乞いの加持祈祷をするときに、守敏は「雨を降らせてはなるものか~」と法力を使って水の神である龍の神様をすべて排除しました。しかし、空海は残された一匹の龍の神様を探し当て、雨を降らしたのです。空海に負けた守敏は腹の虫が治まらず、空海を羅城門近くで待ち伏せし空海に向かって矢を放ちました。その時、地蔵様の化身が現れ身代りに矢を受け、空海は難を逃れました。その後そのお地蔵様は「矢取地蔵」と呼ばれ今も信仰を集めています。

矢取地蔵が祀られている祠

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≪羅城門≫
矢取地蔵右奥の羅城門へと場所を移し、西寺と同じく石碑だけ残る羅城門跡の前に進みました。羅城門は城南宮、大阪へとつながる鳥羽街道の出入り口(正門)でしたが、自然環境の悪さや、大風で倒壊を繰り返し、980年の倒壊からは修理されず地域の衰退とともに荒廃しました。羅城門の荒廃ぶりは平安京の治安の悪さを現す象徴のように文学や能楽、謡曲の奇譚の題材になりました。平安時代の終わりには荒廃した羅城門に遺体を葬る場所になり、この世とあの世のつながりの場所として語られています。羅城門の痕跡はほとんどありませんが、当初羅城門の二階にあった兜跋毘沙門天(国宝)が唯一残り、今は東寺に安置されています。

羅城門跡の石碑前で

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≪東寺≫
今回最後の散策の東寺へ。羅城門から九条通を東へ15分歩いたところに東寺はあります。東寺は延暦13年(779年)の創建。823年に嵯峨天皇から弘法大師(空海)へ東寺が下賜されました。弘法大師は讃岐国の生まれで頭がよく京の都の大学に進学しました。仏教に心をよせ中国に渡り大日経・密教を学び806年に帰朝して高野山金剛峰寺を開きました。その後、嵯峨天皇から東寺を下賜され弘法大師没後は荒廃し、室町時代に再建され盛衰を繰り返し今日に至っています。

南大門前

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南大門から入り金堂を横目に境内を歩きますと、金堂西側の出入り口から本尊の薬師如来像のお姿が見えました。本日は雨だったので中の様子が伺えました。これは雨の功徳です(笑)。
本尊・薬師如来像

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一路、仮御影堂へ向かい弘法大師様を拝観いたしました。工事のため弘法大師様がより近く安置されています。

より近くで拝見できる仮御影堂

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仮御影堂の南側に高野山遥拝所があります。この場所から南方に弘法大師が入定されている高野山があり、弘法大師様にお願いするときはこの遥拝所に祈願するとよいそうです。
弘法大師は東寺を根本道場、高野山を修道の道場と定め、弘法大師62歳の時に高野山へ入定(永遠の瞑想)されました。弘法大師は未だ高野山奥の院で瞑想に入っておられるのだそうです。
弘法大師遥拝所

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弘法大師と言えば「お遍路」ですね。弘法大師の足跡をたどる八十八カ所霊場巡拝「同行二人」の言葉もお遍路で聞きます。一人の巡拝でもいつも弘法大師様がおそばにおられるという意味です。八十八カ所の霊場を巡拝できた暁には入定されている高野山奥の院へお礼参りをします。高野山へ行けない場合はこの東寺の遥拝所へお参りするとよいですね。

空海(弘法大師)は亡くなった後に醍醐天皇より「大師」の称号が与えられ、天皇の勅使が高野山奥の院へ称号の授与を届けました。高野山奥の院はこの時一度だけ勅使のために扉が開かれたそうです。その時の弘法大師の様子が語られていますが、高野山奥の院は今も日に二度、瞑想を続ける弘法大師へお食事を運んでいます

境内には豊臣秀吉の息子、秀頼再建の金堂や即身成仏を体感してもらおうと弘法大師自ら作成した仏像などが配置された立体曼荼羅があり密教美術の最高のものです。その他、「万病ぬぐい」の尊勝陀羅尼碑など東寺には国を護る役割とあまねく人々を救済に尽力した弘法大師の軌跡を見ることができます。

尊勝陀羅尼碑

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万病ぬぐい

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今回の散策は平安京の羅城門を学ぶ上で、京都の礎を感じました。羅城門から北へのぼる千本通(昔の朱雀大路)を歩くと千本丸太町にたどり着きます。このあたりが平安京の中心の大極殿がありました。距離にして南北5キロメートル。歩いて約2時間のコースです。古の平安京の大きさを体感してみたいと思う散策でした。

らくたび 谷口

東寺ベストスポットの歩道橋

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Posted by らくたびスタッフ    at 22:35 │谷口らくたびレポーター