2017年09月02日
南山城の石仏めぐり ~岩船寺から浄瑠璃寺へ~
はじめまして。出版部門の戸塚です。
朝夕には秋風が吹き始め過ごしやすくなってきましたが、夏はいかがお過ごしでしたか?
私は、京都と奈良の県境「南山城」(木津川市)まで、遠出を楽しんできました
奈良時代に都が置かれた南山城は、山々に囲まれた自然豊かなエリアです。
都であったのは、たった4年間でしたが、その後も奈良の僧たちは静けさを求めて山に入り、修行に励んだのでした。
そのひとつ「岩船寺」は、奈良時代の創建です。
門前には、僧侶が身を清めたとされる石の風呂が残されており、これが船のように見えることから「岩船寺」と呼ばれるようになったのだとか。
今では花の寺として知られており、初夏には5000株ものアジサイが境内を埋め尽くします。訪ねたときは、サルスベリがあちこちをピンクに染めていました。
高台にすくっと立つ三重塔。2000年に修復を終え鮮やかな朱が蘇りました。木々に囲まれた華奢な塔を見ていると、「山寺に来たな~」という旅情がかきたてられますね。京都市内の塔は、もっとエラそうです。
岩船寺を後にし、当尾(とうの)の石仏をめぐりながら浄瑠璃寺を目指します。
道すがら、初めて見たのが吊り店。新鮮野菜がどれでも一袋100円で買えます。しかも珍しいものにはレシピまで添えられているという親切さ。
ただし山道はこんな感じ。そういえば、岩船寺で山道を一人歩きしても危険でないかを尋ねたところ、お坊さんの答えが変でした。「昼間だし明るいから大丈夫です。道もありますしね。」わざわざ「道がある」って、普通は言いません。
こちらが一番人気の「わらい仏」。阿弥陀様と観音・勢至菩薩様がニッコリ微笑んでいます。一説には、平安時代末期に平氏が東大寺や興福寺を焼討した後、その復興のため集ってきた石職人たちが住みつき、仏を彫ったともいわれています。
こんな日本の原風景が見たかった
「藪の中三仏磨崖像」は、阿弥陀様、お地蔵様、観音様のトリオ。ここまで来れば、浄瑠璃寺はすぐ。
岩船寺を出てから約1時間で「浄瑠璃寺」に到着。簡素な山門の両脇で野仏が迎えてくれました。浄瑠璃寺の創建は1047年、ちょうど宇治の平等院と同じ頃です。
奈良仏教には「人は、薬師如来によってこの世に送り出され、釈迦の助けを借りて現世を生き、阿弥陀如によってあの世へと導かれる」という考えがあり、それを形にしたのがこの寺なのです。
境内の東には薬師如来が祀られている国宝の三重塔。平安時代に、京都の一条大宮から移築されました。もし移築していなければ、応仁の乱か何かで今頃は灰になっていたでしょう・・・。
そして、三重塔から境内を眺めるとこんな風景が見えます。現世を表す宝池を挟み、対岸にはあの世を映す国宝の本堂。内部には9体の阿弥陀様が横一列にずらりと並んでおられ、見応え十分でした。
仏の世界では、極楽へ往生するとき、生前の行いによって「上の上 」から「下の下」まで9ランクのどこかへ振り分けられることになっています。
そこで昔の人は、それぞれのランクに対応する阿弥陀様をこさえて拝んでおけば、たとえ下の下で死んでも大丈夫と考えたのでした。
ちなみに、わたしたち庶民は中の下へ振り分けられるそうなので、心してお参りいたしましょうね。
らくたび 戸塚
朝夕には秋風が吹き始め過ごしやすくなってきましたが、夏はいかがお過ごしでしたか?
私は、京都と奈良の県境「南山城」(木津川市)まで、遠出を楽しんできました
奈良時代に都が置かれた南山城は、山々に囲まれた自然豊かなエリアです。
都であったのは、たった4年間でしたが、その後も奈良の僧たちは静けさを求めて山に入り、修行に励んだのでした。
そのひとつ「岩船寺」は、奈良時代の創建です。
門前には、僧侶が身を清めたとされる石の風呂が残されており、これが船のように見えることから「岩船寺」と呼ばれるようになったのだとか。
今では花の寺として知られており、初夏には5000株ものアジサイが境内を埋め尽くします。訪ねたときは、サルスベリがあちこちをピンクに染めていました。
高台にすくっと立つ三重塔。2000年に修復を終え鮮やかな朱が蘇りました。木々に囲まれた華奢な塔を見ていると、「山寺に来たな~」という旅情がかきたてられますね。京都市内の塔は、もっとエラそうです。
岩船寺を後にし、当尾(とうの)の石仏をめぐりながら浄瑠璃寺を目指します。
道すがら、初めて見たのが吊り店。新鮮野菜がどれでも一袋100円で買えます。しかも珍しいものにはレシピまで添えられているという親切さ。
ただし山道はこんな感じ。そういえば、岩船寺で山道を一人歩きしても危険でないかを尋ねたところ、お坊さんの答えが変でした。「昼間だし明るいから大丈夫です。道もありますしね。」わざわざ「道がある」って、普通は言いません。
こちらが一番人気の「わらい仏」。阿弥陀様と観音・勢至菩薩様がニッコリ微笑んでいます。一説には、平安時代末期に平氏が東大寺や興福寺を焼討した後、その復興のため集ってきた石職人たちが住みつき、仏を彫ったともいわれています。
こんな日本の原風景が見たかった
「藪の中三仏磨崖像」は、阿弥陀様、お地蔵様、観音様のトリオ。ここまで来れば、浄瑠璃寺はすぐ。
岩船寺を出てから約1時間で「浄瑠璃寺」に到着。簡素な山門の両脇で野仏が迎えてくれました。浄瑠璃寺の創建は1047年、ちょうど宇治の平等院と同じ頃です。
奈良仏教には「人は、薬師如来によってこの世に送り出され、釈迦の助けを借りて現世を生き、阿弥陀如によってあの世へと導かれる」という考えがあり、それを形にしたのがこの寺なのです。
境内の東には薬師如来が祀られている国宝の三重塔。平安時代に、京都の一条大宮から移築されました。もし移築していなければ、応仁の乱か何かで今頃は灰になっていたでしょう・・・。
そして、三重塔から境内を眺めるとこんな風景が見えます。現世を表す宝池を挟み、対岸にはあの世を映す国宝の本堂。内部には9体の阿弥陀様が横一列にずらりと並んでおられ、見応え十分でした。
仏の世界では、極楽へ往生するとき、生前の行いによって「上の上 」から「下の下」まで9ランクのどこかへ振り分けられることになっています。
そこで昔の人は、それぞれのランクに対応する阿弥陀様をこさえて拝んでおけば、たとえ下の下で死んでも大丈夫と考えたのでした。
ちなみに、わたしたち庶民は中の下へ振り分けられるそうなので、心してお参りいたしましょうね。
らくたび 戸塚
Posted by らくたびスタッフ
at 13:21