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Posted by 京つう運営事務局  at 

2017年01月12日

1月7日 京都さんぽ(京阪ウォーク) レポート

1月7日 京都さんぽ(京阪ウォーク)・らくたび講師の田中昭美がご案内する“2017年新春の東山ご利益巡り神様と仏様に招福をお願い!”に添乗してまいりました。新年はじめの添乗で、谷口も招福に授かろうとワクワク気分で祇園エリアのご利益巡りをいたしました。レポートをご報告いたします。

祇園四条駅を出発



【仲源寺/眼病ご利益】
京阪祇園四条駅から出発し、駅近くのご利益といえばやはり仲源寺さん。平安中期、平等院の本尊・木造阿弥陀如来坐像を造った仏師定朝が開山したと伝わります。本尊は地蔵菩薩で目疾地蔵(めやみじぞう)と呼ばれ眼病にご利益があります、その昔、鴨川は暴れ川で大雨毎に氾濫をおこしていました。ある大雨の日、仲源寺のお地蔵様に雨が止むようにお祈りをしたところ雨が止んだそうです。それ以後「あめがやむ…あめやみ…めやみ」と言葉が転じて“めやみじぞう”と呼ばれるようになったという説。八坂神社の参道にあって雨の日は参拝者がこのお寺で雨宿をしたことに因むという説も。また、信仰が深かった老夫婦が目の病を患ってお参りをしたところ病が治り、お礼参りに仲源寺を訪れてみると、お地蔵様の右目が赤くなっていました。お地蔵様が身代りになり老夫婦の目を治されたとして信仰を広めたということです。“あめやみ”から“めやみ”へ呼び方が転じ、いずれも参拝者へご利益がたくさんあったということですね。
目疾地蔵の仲源寺



【歌舞伎発祥の地/南座と北座】
仲源寺から少し歩くと、北座の石碑があります。今は歌舞伎の芝居小屋は南座1軒となりましたが、以前は京都に7軒の芝居小屋があったそうです。出雲の阿国が京都の河原で踊ったのが歌舞伎の発祥とされ、四条通りには幕府公認の芝居小屋がありました。当時は阿国のように若い女性も役者であったそうですが、客席の殿方の心を惑わすとして、その後女性の役者はまかり通らぬと禁止。男性の歌舞伎役者のみ許可されました。男性のなかでも、若い優しげな歌舞伎役者は女性の心を惑わすとして大人(そこそこ年齢のある)の男性が多かったそうです。北座も南座と同様明治時代まで興行を行っていましたが、大正時代の四条通拡張に伴い無くなったのだそうです。今は、京都のお土産の代表格・八ッ橋のお店(井筒八ッ橋)が北座跡に建ってお客様を引きつけています。
八ッ橋の井筒八ッ橋



【白川南通/白川夜船】
北座跡から少し北へ歩き白川南通に入ると右手に白川が流れています。比叡山から流れる川はここ祇園の鴨川と合流します。白川と言っても小さな細い川です。この川の特徴から“白川夜船”という面白いお話が伝わります。京都の旅は今も人気がありますが、今より簡単に京都へ行けなかった頃は、京都へ旅をしたと言うだけでヒーローでした。そんな時代を背景にある男が京都へ行ったと得意げに風潮したところ、話し相手から「都の白川はどんなだった」と聞かれ、男は「白川を夜船で下ったからわからない」と答えました。京都の白川は、水深は浅く夜船が通る川ではないことから、知ったかぶりの例え話と熟睡を意味する言葉として使われます。

白川夜船の白川沿いを歩く



【かにかくに碑と辰巳大明神/技芸上達ご利益】
白川南通りに沿って東へ歩くと祇園をこよなく愛した文豪の吉井勇の「かにかくに碑」があります。「かにかくに 祇園はこひし寝るときも 枕のしたを水のながるる」と書かれた石碑は“とにもかくにも祇園が恋しい”とうたっています。吉井勇の古希を祝って石碑が建てられました。かにかくに碑のすぐそばに辰巳大明神の祠があります。白川南通り沿いから巽橋、辰巳大明神界隈は祇園の代表格風景の一つでテレビや映画のロケーションになっています。辰巳大明神は御所の辰巳の方角(南東)に位置し、方角の守護神として祀られました。今は祇園の中心でもあり芸舞妓さんの技芸上達の神様としても有名です。近くにある巽橋に昔、狸が住んでいて夜な夜な橋を渡る人々に悪さをしていました。辰巳大明神に狸をお祀りしたところ悪さをしなくなったという伝説があります。狸を祀りながら伏見稲荷の狐さんもある不思議な祠です。辰巳大明神を散策中に芸舞妓さんと出会うことができました。本日は芸舞妓さんの始業式だったようで、祇園界隈はいつにない芸舞妓さんの出没にざわついていました。
辰巳大明神



始業式を終えた芸舞妓さん



辰巳大明神前で



【八坂神社/無病息災ご利益】
八坂神社は平安時代前からあり、当時は祇園感神院と呼ばれていました。祭神は素戔嗚尊、櫛稲田姫命、八柱御子神で疫病除けの神様として崇敬されています。京都の初詣は伏見稲荷大社、八坂神社、平野神社、北野天満宮、平安神宮と多くの人が参拝されますが、本日もたくさんの人がこの一年の祈願をされていました。

八坂神社境内



【石塀小路】
八坂神社の南楼門を通って下河原通を南へ歩くと石塀小路の入口があります。大正時代は圓徳院の敷地だったそうですが個人が開発した住宅地となりました。石の塀があることからその名がついたのですが、地面は市電の敷石が使われるなど数寄屋風の家屋と相まってノスタルジックな空間が漂っています。今は写真撮影が禁止になっています。
石塀小路の入口



【法観寺・八坂の塔】
一行は石塀小路から南へ歩き八坂通りに入りました。目につくのが通称八坂の塔。細い道から見上げる五重の塔は半端ではない迫力です。臨済宗建仁寺派で足利義教が再建したお寺です。正式名は法観寺といいます。

見上げるのも苦労する八坂の塔



【八坂庚申堂/病、虫封じ、縁結びご利益】
八坂の塔から少し戻ると八坂庚申堂さんがあります。日本三大庚申の一つに数えられ庚申信仰で有名です。人は体の中に虫をかっています。いわゆる「腹の虫がおさまらない」などの虫です。虫は「三尺(さんし)の虫」と呼ばれ、庚申の日に寝ている人のお腹から出て天帝(てんてい/天の神、寿命を司る神)の元へ人の悪行を告げに行きます。告げられたその人の寿命は縮まります。寿命を縮めないように、庚申の日には徹夜をして虫を出さないようにする。これを庚申待ちと呼びます。庚申堂のご本尊になっている青面金剛(しょうめんこんごう)はこの三尺の虫を食べるので、庚申待ちの日にはご本尊を拝むようになりました。このほかに庚申堂のシンボルともなっている「くくり猿」があります。布と綿で作られた黄色や赤、青の色鮮やかな猿が手足をギュッと一つに縛られています。人の心は常に動き回っているから欲望のままに動かぬよう、人間に近い動物・猿(作り物)の手足を縛って戒めの形を表現しているのだそうです。願い事を一つ叶えるなら欲を一つ我慢するという教えを説いています。
八坂庚申堂本堂



お地蔵様の周りにくくり猿を奉納



町の家々にもくくり猿



【恵美須神社/商売繁盛ご利益】
散策は終盤に入り一路、大和大路通に面する恵美須神社へ。平安時代末期、建仁寺の開祖・栄西禅師が中国の宗から帰路の途中暴風雨にあい、波間から恵美須神を見つけ船中に祀ると暴風雨は止まり無事に帰国。その恵美須神を建仁寺の創建の守護神として祀られたのが始まりだそうです。恵美須神は耳が遠いので、本殿を参拝した後は本殿左通路にある参拝所の格子?木戸に、肩を叩くように「トントン」と叩いてお願いするとなお良いとのことです。珍しい参拝の神社としても親しまれています。ご利益の商売繁盛のモチーフでもある福笹は、青く、節が無く、弾力があって折れない、しなやかというイメージから繁盛の象徴とされました。福笹は恵美須神社が起源だそうです。3日後に十日戎で賑わいます。

恵美須神社本殿



本殿横の通路にある参拝所



トントンと叩いて再参拝



【六道の辻/六波羅蜜寺】
大和大路通から松原通を東に入り六道の辻へ。六道の辻はあの世とこの世の境目とされ、鳥辺野・平安時代の葬送の地であることから、様々な民間伝承があります。一つには“幽霊子育て飴”のお話があります。昔、夜な夜な飴を買いに来る女性がおり、調べてみると身重で亡くなった女性が死後出産して幽霊となって飴を買い求めて乳飲み子に飴を与えていたというお話です。その後子供は立派な僧になったというくだりもあって親子愛を感じるお話が残っています。六道の辻で今もその幽霊子育て飴が買えますので、京都のお土産にどうぞ。最後の訪問場所の六波羅蜜寺へ行きました。空也上人が鴨川の東岸にお堂を建て西光寺としたことに始まり、弟子の中信が入寺して現称の六波羅蜜寺となりました。六波羅蜜寺での参拝は自由参拝となりました。平家ゆかりの地でもあり、轆轤町の町名のいわれなどもあって六原エリアはゾクゾクする伝説がたくさん残っています。

幽霊子育て飴



六波羅蜜寺



平清盛像、空也上人立像の写真



今回はたくさんのご利益の神社仏閣めぐりをしました。京都さんぽ、京阪ウォークでは楽しい京都の歴史を散策するコースがたくさんありますので、お好きなコースにご参加ください。らくたびの詳細はここをクリックくださればホームページに移りますので、よろしくお願い申します。

らくたび 谷口

宝づくし




  

Posted by らくたびスタッフ    at 16:08らくたびガイドと歩く散策谷口京阪・祇園四条駅観光案内所

2017年01月12日

1月21日(土) ≪ 京阪ウォーク ≫ご案内

1月21日(土) ≪ 京阪ウォーク ≫ご案内
1月、2回目の京阪ウォークは“動乱の幕末史、暗殺・密談・潜伏 時代を動かした志士たちの足跡 ”です。


今年は大政奉還150年を迎える年!新年一月はまず祇園エリアから激動の幕末を駆けぬけた志士たちの足跡を手繰りましょう!祇園エリアには坂本龍馬や新撰組などの志士たちが奮闘した史跡が点在し、歩きながら訪ねることができる幕末探訪の宝庫的エリアです。江戸時代から明治維新へと移り変わった時代を想像しながら歩かれてはいかがでしょうか。京都に精通したらくたびガイドの山下輝雄がご案内します。



【見どころ】
① 動乱の幕末、坂本龍馬、中岡慎太郎、新選組ら志士たちが駆け抜けた木屋町界わいを散策し、時代を切り開いた若者の思いを偲びます。
② 木戸孝允(桂小五郎)が松子夫人と暮らした旧邸を見学(外観)。孝允の子孫が収集した達磨を展示する達磨堂もご覧いただきます。
③ 豊臣秀次の菩提を弔う瑞泉寺、江戸時代の京の大動脈・高瀬川、新選組がその名を轟かせた池田屋跡などの歴史スポットを歩きます。

ご案内 講師・山下輝雄
参加費 一般:3000円 会員:2500円
(別途拝観料は必要ありません)

集合 13時 京阪 祇園四条駅 観光案内所前(地下)

行程 京阪・祇園四条駅 → 古高俊太郎屋敷跡 → 近江屋跡地(坂本龍馬遭難の地) → 土佐藩邸跡 → 瑞泉寺(豊臣秀次供養塔) → 酢屋(海援隊の京都本部) → 池田屋跡(池田屋騒動) → 長州藩邸跡・桂小五郎像 → 高瀬川(一之舟入) → 木戸孝允旧邸
※16時頃解散予定 ※歩く距離約:3.3km

詳しくはこちらまで!